ゆっくりと、大切に守り育んできた赤ちゃんとの出会いはもうすぐ。
やがて生まれる生命をどう迎えるのか、期待と不安で胸がいっぱいでしょう。
同じ花でも一輪ずつ表情が違うように、ひとりひとりの個性はさまざま。
いとうレディースケアクリニックは、あなたが出産に望むものをひとつひとつ実現するために誕生しました。
あなたらしさを大切に、安心してその瞬間を迎えられるように、心をこめてお手伝いします。
概要・ごあいさつ
いとうレディースケア
クリニックとは
理事長ご挨拶
心から安らぎを感じられる医療を目指して
当院は1928年に開院し、初代伊藤吉左衛門から数え2018年に開業90周年を迎えました。
出産・子育てを温かく見守るケアハウスとして、北方町に移転後も地域のみなさまと歩んでまいりました。近年では、病院と診療所(医院、クリニック)が、それぞれの特性を活かしながら、地域全体で患者さまのケアにあたる病診連携にも力を入れております。産前、出産、育児から女性特有の疾患まで、きめ細やかなケアをこころがけ、総合病院等では行き届かない部分を補うべく、地域の産科・婦人科医院としてすべての女性のご相談に応じております。
少子高齢化が進み、若いお母さん達が戸惑いながら育児をしている現状を、なんとか安心して育児ができる環境に変えていかなければならないと考え、子育てサークルのママグループを発足。現在650ほどのグループができています。日々患者さまと向き合い、患者さまに望まれる医療とは何なのか、どのようにかたちにして提供していくのかを考え、地域の産婦人科として、女性の生涯の健康・赤ちゃんの健康づくりを主に、心から安らぎを感じられる医療を目指してまいります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
いとうレディースケアクリニック
理事長 伊藤 俊哉
医院の歴史
激動の時代を医者として生きた - 初代 伊藤吉左衛門
20世紀初頭から物語がはじまりました
- 岐阜県恵那郡郡上村(現在の恵那市上矢作町出身)
- 愛知県立第一中学校卒業
- 第5高等学校(熊本市)卒業
- 九州帝国大学・医学部卒業
- 軍医となり、東京の軍隊に所属。秩父宮の侍医となる。
- 天津(中国)の衛戍病院(陸軍病院)に病院長として赴任。
- 清国最後の皇帝、溥儀氏が辛亥革命(1911年)により北京を離れ天津にて亡命中は、主治医として診察して差し上げたと話しておりました。
第一次世界大戦後、世界は軍縮の時代になり、軍医(軍医中佐でした)を退役し、九州帝国大学に戻り学位を取得、岐阜へ帰郷し「伊藤外科」(昭和3年)を開院しました。
女性の健康を温かくみまもる - 2代目 伊藤 左門
1960年代から今日まで、ライフスタイルの変化にあわせて女性をサポート
昭和35年、伊藤左門が同じ場所(岐阜市神明町)にて伊藤産婦人科医院を開院しました。岐阜市内では、有数の産婦人科として地域に貢献してまいりました。その後、平成10年10月には、―産科・婦人科― いとうレディースケアクリニックとして当院を新築しました。
よりよい地域医療を目指して - 3代目 伊藤 俊哉
女性の生涯のケアハウスとしてまるでもうひとつのわが家のような安らぎを
母親であるあなたからわが子へ、愛情とともに伝えたくなる安心がここにあります。
出産前後のデリケートな心と身体はもちろん、女性として生まれたあなたの生涯のケアハウスとして、まるでもうひとつのわが家のような安らぎで、女性をいつでも優しく包み込みたい…。
そんな願いが「いとうレディースケアクリニック」にあります。
私たちが心をこめてケアします。
今後とも「いとうレディースケアクリニック」をよろしくお願い申し上げます。